ルッキズムについての疑問。美しく思うことは。
アスリートの容姿に対しての報道がルッキズムだとか、何事にも「差別」だとか「平等」だとか言うのは?
また疑問に思いました。
オリンピックだって人の成績や能力で順位、序列を決めているのは差別?
同じ競技で男女を分けるのは差別?
分けるのはジェンダー平等ではないですね。
小学校の運動会100m徒競走でも、事前に集計した子供達の個人のタイムを元に、運動会では差が開かぬようタイムが近い子供達で走らせています。
速い子供は速いタイムのグループ、遅い子供は遅いタイムのグループ。
これ自体、お前は速い、お前は遅い!と振り分けていることが差別では。
オリンピックの金メダリストはマスコミで大々的に取り上げられ、銀メダリスト以下はそれほど注目されない。
「何故、金メダルを取れなかった?」
これは差別です。
でもそんな事を言っていたらスポーツが成り立たなくなります。
「競う」ことは「差別」ではない。
全てに「無差別」「平等」を当てはめたら人は何も出来なくなります。
何が差別なのか、何が差別ではないのかを見失わない事が大切です。
とある偉い人が「ルッキズム報道の問題点」として4つあげたコメントから2つ。
「1:特定の容姿を「美しい」と言うことで、美の画一的な基準が作られてしまう。また、その基準の生成に加担してしまう。
2:ある空間で特定の人の容姿を絶賛することで、空間内における“序列”ができてしまう。」
と言うコメントです。
まず「特定の容姿を美しいと言うこと」とありますが、「特定の容姿」ってなんですか?
具体的にあげていません。人は「美しい」ものを見たら「美しい」って言います。
人間の「感性」ですから。
この「特定の容姿」って意味が私にはわかりません。
次に、「美の画一的な基準」って何?
人それぞれの美しく感じる基準は違うし、感覚的な個人の「感じる」ものだから画一的な基準にはならないと思うのですが。
また次に、「ある空間で特定の人の容姿を絶賛」とありますが、だからある空間ってなんですか?!でまた、「特定の人の容姿」の特定は何なの?!
特定の空間がミスコンだったら問題はないです。美しさで「競って」いるのですから。
他、逆にダメな空間が思い浮かびません。
オリンピックの「美しきアスリート!」
別にいいんじゃないかな。
誰が不快に思うのでしょうか?
最後に、「空間内における序列」ってなんだかわからない。どんな序列?
この「空間内における」とか「序列」、「特定」や「画一的」など抽象的にしか言わないので理解や納得が出来ないのですが。
それとも私レベルの人間には理解出来ない次元の話しなのでしょうか?
お偉い人の話しは難しいです。
わかりやすく説明して欲しい。
もう一度、ルッキズムとは
ルッキズムとは、「外見にもとづく差別」であり、特に「身体的に魅力的でないと考えられる人々を差別的に扱うこと」
基本は誉める、絶賛する行為は当たりません。場合によっては外見を誉められる事が心の負担になる事もあるかもしれません。
大抵は誉められて悪い気はしないと思いますが。
受け止め方は本人次第なのでしょうか。
「美しいアスリート」を美しく言った事に
対しての「批判自体が差別」になる気もします。
この件はそこまで神経質になる事だったのでしょうか?
報道のアスリートに対して「美しすぎる」という表現は私的には何も気にならなかったです。
個人差もあるかもしれません。
ちなみに、「メラビアンの法則」
メラビアンの法則とは、人と人がコミュニケーションを図る際、「言語情報7%」「聴覚情報38%」「視覚情報55%」という割合で影響を与えていることを示した心理学上の法則です。
視覚情報が一番に強い影響力があります。
視覚情報は、見た目、しぐさ、表情、視線です。
この場合の視覚情報は見た目や容姿だけではありません。
目に見える視覚的なもの全てになります。
「美しい」は見た目の情報になりますが、「しぐさの美しさ」や「表情の美しさ」もあるのではないでしょうか。
この「美しい」という表現が私は「差別」とは思えません。
美しい景色、美しい空、美しい月、美しい花、美しい人、美しいアスリート。
美しさを純粋な気持ちで感じていれば何も問題はありません。
「美しすぎるアスリート」を批判している方々は何か「別な意味」でとらえているのではないでしょうか。
偏見ばかりでは嫌な人間になってしまいますね。